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山清路ぶどうの歴史

生坂(いくさか)村は長野県の中信地区、東筑摩郡の北西部に位置し、安曇野市に隣接、長野市と松本市のほぼ中間にある村です。

村の中央を犀川(さいがわ)と国道19号線が南北に貫通しています。

養蚕業がさかんな地域であったが、養蚕業の衰退とともに遊休荒廃クワ園が増加していきました。

遊休荒廃クワ園の代わりになるのもはないかと模索している中、平均標高550m、年間降水量1200㎜前後、平均気温11℃等、比較的に少雨で温暖な自然条件に着目し、ぶどう(巨峰)栽培を始めることになりました。

昭和59年8月に果樹生産団地設置事業説明会が開催、昭和60年10月に草尾巨峰生産組合(4人)を設立、昭和61年1月に草尾地区に果樹生産団地を造成することが決まりました。

昭和61年4月に生坂村で初めて5戸、約80a(庄の上)で巨峰栽培が始まりました。

地元の名称に因み、「山清路巨峰」と名付けられました。

その後、村全体に広がり、小立野地区、下生野地区、上生坂地区、と広がっていきました。

草尾地区の上野では、昭和62年度の新農村地域定住促進対策事業により、6.1haの農地造成がおこなわれました。